こしなか左京

【師事】この言葉の重さについて

こしなかです。

 

いきなり結論から言うと、

【師事してます】、【師匠です】

これらの言葉を発言、発信する場合、

本来、かなり慎重にならないとダメな言葉だと考えます。

 

ここはコラムですから、勿論私の意見や考察を書く場所です。

もちろん、私の見解が絶対とは言いませんので、そこはお許しを。

 

「私は⚪︎⚪︎さんが師匠、師事してます!」

 

こういう表現って、一般的には落語の世界だったり、

芸人さん達が発してる言葉から

耳にする機会は多いのではないでしょうか。

 

SNS関係でも色々なジャンルの方でよく見受けられます。

特に、占いの関連の方でもよくみるわな。

 

そもそも、弟子とか師匠って

簡単に決められる関係ではないと思うんよね。

 

まあ、その人のことを「師匠」と呼ぶに等しい

何かしらの大きな影響を受けたのであれば、

それはまだ良いとしても、、

 

その師匠からしたら、

やっぱり自分の背中を追いかけてくれてる弟子的存在は欲しいでしょうし、

「この人は私の師匠です!」と発信してくれる人が増えると

自分に箔がつくじゃないですか。単純に嬉しいでしょうしね。

 

沢山の弟子がいる人=偉大な人、圧倒的な能力者または人格者。

必ずしもイコールではないと思いますが、

何かを教える立場の人は、特に同業者に対して

このような自分の偉大さを見せつける事も

自分というブランドにスポットが当たる

最も都合が良い状態になります。

 

ただ、「弟子」にあたる人。いいですか?

今、「師匠という存在」がいる、という人のことね。

 

あえて言いますが、

 

「師匠」ですか?本当に?

ただの「先生」じゃないですかね?それは。

 

師匠、先生、似て非なるものだとは思いますが、

 

「師匠」「師事してます」

という言葉を発信することってめちゃくちゃ重いことですよ。

 

本当に使って大丈夫ですか?

他の人がプロフに書いてるから、あなたも書いてませんか?

丁寧なあだ名のようなニュアンスで使ってません?

 

きっと先生的な立場の人を、師匠と呼んでいる人も多いと思います。

でもそういう言葉を安易に発信するとなると、

あなた自身の商品価値に影響する場合もあります。

悪く聞こえるかもしれませんが、これは良くも悪くも、でしょう。

 

 

数年前に、とある落語家さんが

 

「弟子を全員破門にした!!

    理由は私の芸を盗んでやろうとするしたたかさや、

   どんな場面でも一緒に行動して勉強するという意思が見えないから」

 

と会見で言ったことがありました。

今は令和ですし、そういうしきたりも古いのかもしれませんが

本来、師匠とか弟子って、こういう関係性を指すことなのかもしれません。

 

「師匠です!」「師事してます!」

 

発信したからには、

「なら、何がなんでも追いかけてくるんだな?」

と、「姿勢」「行動」を求めてくる師匠もいれば、

 

「もっと言ってーどうせ”ファッション師事”なんだろ?

    なら短期間でも言ってくれた方が私がオイシイ!」

 

と、スーパーマリオのスターを取った無敵状態のごとく、

その人を利用し、自分の瞬間的ステータスに利用する師匠もいるでしょう。

 

 

 

客観的に考えてみましょう。

 

「師事してます!」などと発信し、

それを客観的に見る第三者の目には、

その人についていく宣言をしてる人、というようにうつりますよね。

 

それが、あなたがやりたいこと、なりたい自分に対して

妨げになるかならないか、ちゃんと判断しましょうね。

 

Win-Winの関係を望むので合えば、

師匠からも「弟子」と認めてもらうこと。

 

それには、自分の技、技術、センス、肌感覚、

そういった門外不出のものを授けられる弟子か否か。

あなた側の信用性の面も大きいかもしれませんね。

 

あと、どんな事があっても自分についてくる人か否か。

ここも間違いなくみてます。

 

これらを考えると、長い年月をかけて、

「弟子」になっていくものかもしれません。

 

要するに、師匠にだって「弟子」を決める権利があるといえます。

 

 

あなたが「師匠、師事してます」と書いてる人から、

 

「あなたは私の弟子だ」と言ってくれましたか?

 

契約書なんて交わさないわけだから、

もしどちらからに不都合なことがあった時には

「私は弟子とは認めてない、相手から勝手にそう呼ばれてるだけ」

と言われてしまう可能性もあります。

つまり、暗黙、グレーな口約束部分を

時に都合よく解釈されてしまう可能性もありますよ、という話。

 

「弟子」と認めてくれない限り

「師匠」と勝手に呼んでいる人、に過ぎないのです。すごく寂しいけどね。

 

自分を奮い立たせるため、

またはその師匠が好きで本人にアピールする意味での、

先行した「師事してます」的発言であっても、

言葉の重みって変わりませんよ。

私的にはそこまでの意味ではないの!と思っても無理です。

 

法律とか、そういう領域の話にするならば

私は専門家ではないので分かりませんが

師事してます!系の言い回しに関しては

本来契約書では語り尽くせない領域のインパクトがある言葉かもしれません。

非公式ながら契約書を越えた究極の口約束かもしれませんね。

 

決して師匠を持たないようにしましょう、といいたいわけではなく、

 

発信してもしなくても、

自分のペースで学んでいきたいのであれば

わざわざそんな重い言葉を気軽に使用、発信せずに

まだ、「心に秘めた師匠的存在」で良いのでは?

 

その場合、あなたがそう思っていれば成立するので

わざわざ発信はしなくでも大丈夫なのです。

そういう方に出会えたわけですし、それだけでも十分素敵なことですよ。

 

 

ここまでこの内容を書くのはなぜ?

と思われた方もいると思います。

 

これは私もすごーーーく過去に、

安易に「師事してます」と記載した事があります。

占いに関わる前の、主に行者関連での関わりが深かった大先生のこと。

生きていればもう90歳になっていたでしょう。

とあるメーカーのチョコレートばっかり食べて

チョコレート談義が面白かった人でした。

 

それでその方から、

「私を師匠と思うのであれば、こうあるべきだよな?」

というような姿勢や行動を求められた事があったんですよね。

きっとその人には、私が弟子的姿勢に見えなかったのかもしれません。

 

当然、周りからもそう見られました。

そりゃそうです。「この人を師事」と書いてあるわけだしね。

 

でも、そのまま素直についていく選択肢も覚悟も、

その時の私にはありませんでした。

 

そこで、そういう類の言葉の重みを知った、というお話でした。

 

 

ほなの!

The following two tabs change content below.

こしなか左京

意外にも癒される、自分を俯瞰できるという理由のリピート支持率の高いセッションは百聞は一見にしかず! これまで誰にも本音を話せたことがないという方にもオススメの先生です。

最新記事 by こしなか左京 (全て見る)

ページトップへ